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中世の夜2009 / 03 / 24 ( Tue )
もしも私がだれかに私の持たないものを与えたいと思ったら、私はそれをどこかから調達しなければならないが、その調達先もまた「持たないだれか」ということがある。持たないだれかから奪い去り、私は奪われたものを補填する。奪われただれかはまたべつの持たないものから盗むために出かけてゆく。このとき、持たないものからだけ奪うという、まるで資本主義社会の搾取そのものを描いているその商品こそが「愛」である。 つまり資本主義によって「愛を持たないひとだけが、愛を与えうる」という事実が証明されているわけだ。持たないひとだけが持っているもの。 小学校では、煙草の害についてのデモンストレーションがあり、人形に煙草をすわせ、といった手順で進んだらしいが、途中で気分が悪くなった小学生が続出し、実演は中止となりかけた。実演すべきだと小学生たちが騒ぎ出し、けっきょく窓を開けて窓際で人形は煙草をくわえることになった。窓から校庭をながめながらくゆらす一本の煙草。背後ではハエのように小学生たちが騒いでいる。愚かな教師が叱っている。自分は人形でよかった、と人形は思っている。 先週の土曜は母を迎えに行って墓参りをしたので、大宰府まで二往復した。墓地の場所を間違って、公園に出てしまった。母にはそれがわからないらしく、だれが勝手にお墓の位置を変えたのかとはげしく怒っていた。ぼくが道をひとつはやく曲がってしまっただけだと言ってもまったく聞こうとはしない。墓の位置を変えたことをだれかが教えてくれるべきだと主張しつづけた。墓参りからの帰り道、道端で日向ぼっこをする老人を見つけて、あのひとが教えるべきだったのに居眠りをしていた、とまだ言いつづけた。 たしかに墓はここにあった、それがまっさらな広場になってしまった。だれかがいつもそういうことをするのだ。ずっとずっと母はだれかにそういう目にあわされてきたのだと思う。 土曜日の夜は、暗い水銀灯の下で、ほんの十秒ほどの出来事だったが、すてきな詩人と詩集を交換した。まるで中世の夜だった。彼女の名刺には点字が並んでいて、目の不自由なひとたちの世話をしているらしい。「目を貸してください」と言われ、海を見にいきましょう、と誘われるらしい。 トンボロの川野さん、トラックバックありがとう。いままさに自転車で、ちょっとその辺に出かけようとする川野さんをぼくは見送るところです。子どもとはネコカフェに行く約束をして、仕事を休んでそのうち出かけます。そのときは見送ってくださいね。 |
コメント
春は遠くなければなりません。花が咲くから春が遅れる、と昨日は対岸から呟きました。
傘を差しかけた土曜と日曜の後にはふたつ足跡が並べばいいなと幾度思ってもやみません。春の雨が怖くておびえているのですが…遠くから。 からだに星があるのでそれを数えてもらっています。放棄してきた穴に迎えるべきものを持たない。そのような穴さえ奪いたくなる愛に溺れます。複数の過去に似た冬に追われる視界の中です。
haruちゃん、こんにちは。
春なんて信じちゃだめです、と信じてもいないものについてわざわざ語るべきでしょうが、ここは、冬なんて信じてはいけません。そうなのです。それだけなのです。冬が求めてくるものといえば。 冬はあらゆるものが過去を連れてきます。 子どもは「社会」が大嫌いなのですが、私もそうです、その社会が通知表ではいちばんよくてAばかりです。成績と好悪の不一致は「勉強」がわかっていないからでしょうか。それなのに「勉強は嫌い」といいます。わかっていないものを嫌っているという、よくあるパターンでしょうか。いや、たぶんわかっているのです。おそらく、子どもにとっての「勉強」が、ここでは「春」と呼ばれているのです。 |
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