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バイオハザード

あっというまに7月が終わろうとしている。といいながら6月の記憶はすでにない。
みえない場所に連綿とつづくものが流れていて、それが時間を急がしているのだろう。
いずれにせよ、立ち止まるにせよともに流されるにせよ、そこに新しいものはない。
流れないものを評価するあたらしい視点をさがしている。

並んでいる列に横から割り込んで得するとしたら、それはみんなが列をなして順番を待っているからだというだれかのツイートが記憶にのこった。みんなが抜け道を通ればそこが渋滞して抜け道ではなくなる。つまりマイペースというのはだれもがマイペースで進めないことに依存している他者のペースである。というわけでじっさいにはだれもがマイペース以外のペースをとれないのだ。

妻の病室で細菌感染があり、病室に入るにいろいろと儀式が必要になった。
手を消毒する。手袋をする。マスクをかける。神に祈るためにひざまづく。
それで一度病室の前まで行ったもののそこで引き返し、いらい見舞いに行っていない。どのくらい行ってないかもわからない。いつバイオハザードが解除されるのかわからないし、質問する気にもならない。だれも答えを知らない素朴な問いが多すぎる。

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おだやかな死後を生きている

死にかけている犬は死にかけている私のようにまだ生きている。というより、死後を生きているわたしのように無様にも死後を生きている。生き返ったのか死後を生きているのかただ生き延びているだけなのか、という問いに答えるのは思ったほど簡単ではない。だいたい〈ただ生き延びている〉とはどういうことだろう。雨の日にただ雨が降っているようなことだろうか。

今日、雨の日に降っているのを雨だとすると、昨日の雨の日に降っていたのも雨だろうか。もうほとんど動くことのできない犬が床に頭を打ちつけている音がひびいている。立ち上がって外に行きたいのに犬にはなぜ自分が動けないのかわかっていないのだ。そんな犬の様子を見ると母は安楽死を与えよう決めるのだが、やがて疲れて身動きもせずに眠る犬を見ると、このまま自然に逝かせようと言い出す。もうずっとそれが繰り返されている。

断末魔には生と死の繰り返しの波として表現されるあからさまな生があって、そんな生への執着から救うことが死にすぎないのではないかと私は考える。そんなふうに私は犬の最期を人の最期のように考えることしかできない。死はあまりにも無力で強すぎる。

追記:
17日朝、線香が焚かれていて母が写真立てをさがしていたので犬は死んでいたようだ。死にかけているという理由で憎悪の対象だったものは死んでしまって愛惜の対象に変貌する。何の抵抗もないその変貌のたやすさが悲しい。

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二月の終り

中学校では、生徒ひとりひとりと個人面談をし、仲の良い友だち、嫌いなチームメイトなどの聞き取りがあるらしいし、それを新学年のクラス替えの参考とするらしい。いじめなどの問題を減らそうとしているのか、中には、「〇〇さんは孤立していじめられています。私が守ってあげたいので同じクラスにしてください」と先生に訴える少女もいて、それを聞いて〇〇さんは感激しきりだった。

では、友だちもいない、守ってくれるひともいない子はどうするのだろう、という問いが立てられるわけだ。学校という視点からは、大きな差別を消すために妥協する小さな差別があるのだろうか。それは本当に小さいのだろうか。

いずれにせよ、同じクラスになるといいね、と〇〇さんには言ってしまうわけだ。〇〇さんというのは私の娘だが、子どもが、自分がいじめられて孤立していると思い込んでいるのは、そういう守ってくれるようなひとが存在することが原因ではないかと思ってもみたがそれは黙っていた。語ったのは、自分を被害者と思っていると加害者としての自分に鈍感になってしまう、という話だった。

実際子どもには数人の仲良しグループがあり、そもそも仲良しグループのあるような孤立とはどういう孤立だろう、そこでみんなで嫌って本当に孤立させているクラスメイトがいるのである。自分が孤立していると思い込んでいることによって誰かを孤立させてしまうことに気づかない、それはカッコ悪いだろう。でもその子は誰からも嫌われているんだ、と子どもは言う。小学校、中学校とは、誰からも嫌われていることが嫌ってもいいという保証になってしまう場であり、そこでは「嫌われないための技術」が最初に要求される、そういう最初の共同体なのである。

今年とうとう妻に年賀状は一枚も来なかった。

10:35 | 日々 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑ 

2008年9月19日

全部の部屋に灯を点すと、私ひとりではないと思える。今にもその部屋から子どもが入ってきたり、妻が何かを話すためにコーヒーを持ってやってくるかに思える。しかしセメントのように固まった洗剤を削りながら洗濯をし、雨の漏る靴を履いて出かけるときには、私ひとりだということを思い出す。あまりにもあたりまえだった出来事が夢となり、ありえない小さな障害が現実となっている。

なぜか台所に立つと吐き気を覚えるので、ここに座って、帰りの地下鉄の中で、隣に座った二人連れのOLが「深い話」をしていたことを思い出そうとしてみる。でも何も思い出さない。隣に座っているひとを直接見ることができないので、正面の窓ガラスに映った姿を見ていて、そんな映像だけが写真のように思い出された。

夏が舞い戻っていた。舞い戻るがいいさ。台風は逸れるそうだ。逸れるがいいさ。冷蔵庫は静かに冷えている。

ほんとうは瞬間にしかなかった愛だったのに、すれ違ったことがそれを永遠にしてしまった。すでに泣いた愛なのに、すでに泣いた愛が、いくども巡ってくる。永瀬清子の「あけがたにくる人よ」は、ちょうど灯が点された誰もいない部屋の、すぐとなりの部屋で生きつづけた詩である。

あけがたにくる人よ
永瀬清子

あけがたにくる人よ
ててっぽうの声のする方から
私の所へしずかにしずかにくる人よ
一生の山坂は蒼くたとえようもなくきびしく
私はいま老いてしまって
ほかの年よりと同じに
若かった日のことを千万遍恋うている

その時私は家出しようとして
小さなバスケットひとつをさげて
足は宙にふるえていた
どこへいくとも自分でわからず
恋している自分の心だけがたよりで
若さ、それは苦しさだった

その時あなたが来てくれればよかったのに
その時あなたは来てくれなかった
どんなに待っているか
道べりの柳の木に云えばよかったのか
吹く風の小さな渦に頼めばよかったのか

あなたの耳はあまりに遠く
茜色の向うで汽車が汽笛をあげるように
通りすぎていってしまった

もう過ぎてしまった
いま来てもつぐなえぬ
一生は過ぎてしまったのに

あけがたにくる人よ
ててっぽうの声のする方から
私の方へしずかにしずかに来る人よ
足音もなくて何しに来る人よ
涙流させにだけ来る人よ

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怯える意志によって魚は泳ぐ

見舞いに行くと相変わらずゆいいつ動かせる妻の右手は拘束されている。不安定な情動によって、物を投げるに留まらず、切開された自分の気管に挿入されているカニューレを引き抜こうとして血だらけになっているのを発見されて以来拘束されている。「不安定な情動」とは何か。知るわけがないし知りたいとも思わない。私が心筋梗塞でたおれて以来それが始まった。話したい、物を食べたい、子どもを守るためにこの世界に戻ってきたいのだ。話す代わりに、物を食べる代わりに、子どもを守る代わりに物を投げている。

見舞いに行くと私は最初にその腕の拘束を解く。ゆいいつ動かせる右手が拘束されていることの意味をだれひとり問おうとしない。まるで問うことが妻の自由の欠如を完成させてしまう、それを恐れているかのようだ。生きたいという意志そのものによって死に接近するしかないときがあるのに、妻を介護する連中は何を怯えているのだろう。もちろん怯えることは生き延びる手段である。怯える意志によって魚は泳ぐ。怯えて泳ぐことで魚は溺れない。

腕が自由になるとさっそく妻は「あいうえお表」の上に指を走らせる。言いたいことが堰を切って溢れ出す。質問がつづく。犬は元気か。櫻井翔を知っているか。それらの質問の中には「まだ詩を書いているの」というものもたしか混じっていた。

右手の拘束を解いたまま私はいつも病院をあとにする。

18:02 | 日々 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑ 

遠い時代の奇蹟の出会い

母がいっしょに食べようといって鯛の刺身を冷蔵庫から取り出す。きっとスーパーでこの刺身を見たときに、わたしに食べさせようと思って手をのばしたのだろう、自分が食べたいのではなく、と思った。ほんとうは自分が食べたいだけで、それをだれかに食べさせたいという口実で買ったといった人間的な解釈がほしかったのに、ここには動物的な、子どもに餌を与えるといった純粋なメカニズムに近いものが機能しただけだった。いざ食べ始めると(案の定)母は、自分は一切れでいいと言い出す。わたしは満腹だったのである。

ここ二日ほど母の作った赤飯を食べている。母はむかしから赤飯が好きだったのではないかと突然気づく。むかしというのは、もしかしたら子供の頃からということで、子供の頃から変わらずに持ち続けるものはひとつの奇蹟というほかなく、そこには奇蹟的な出会いがあったからにほかならない。たかが赤飯にすぎないものとの奇蹟的な出会いを思うと、時代の哀しさに行き着く。

知らないうちに子どもは変わる、そう書いてみたいが、ほとんどの時間は「知らないうち」だけ経過する。知らないうちに経過する時間を時計に委ねる時もあれば、子どもの変化に委ねる時もある。この間はスカイプで子どもが歌を歌っていた。みんなから煽てられているんだな、と思っていたが、アンコールなどがきて別の歌を歌い始めた。どこまでも煽てられながら「おれ、下手なのに」とマイクに向かってどこまでも謙遜していた。おれ?

13:27 | 日々 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑ 

中二病

子どもには趣味を同じうするスカイプでの仲良しグループがあるらしく、昨夜も書いたり喋ったり、馬鹿な笑いで、そのどこにあるのかわからない部屋は充たされていた。ところがだんだん暗い話題になっていった。学校でいじめらしきものに合っているということをひとりが告白したため、それに対して、いろいろな意見や元気づけ対処法などが語られ始めた。

子どもにとってはみんな年上といってもひとつかふたつ、彼女らは中学二年生くらいで、差があるわけじゃなかったが、それなのにこんなにいいことを言えるんだと、子どもは感心しきりのようだった。話題が暗いので、子どもは早くおもしろい話にならないかなと思っていたようだ。その話し合いには参加できなくなって、私に、いまどういう事になっているかを説明してくれた。

告白した少女が「話してよかった、こんなことを言える友だちがここにはいるんだ」と感激している、などとリアルタイムで説明してくれた。ネットだからそういう人たちがいるんだろうねと私は思った。子どもたちを追い込んでいるものがあって、実はちゃんとした意見を言えるようなひとたちがネットに流れていることを改めて知った。

「欝が入ってしまった」と言うので、そうじゃなく、そういう問題に初めてちゃんと自分の意識で出会うのが「中二病」なんだということを説明した。いやなことを消化できる器官が生まれるんだね、だいたい14歳で。消化できないと欝になるのであって、そういうものを消化して栄養にできるようになるんだ。

そしてもう栄養にもせずにすぐに排泄してしまうようになるとつまらない大人になってしまって中二病は終わってしまうのだろうと思った。そうこうするうちにそのスカイプの世界にコンビニに出かけてた仲間のひとりが帰ってきたらしく、彼女の「ただいま」という一言で呪文が解けてしまった。一瞬でそこは明るい話が舞い戻り、何事もなかったかのように笑いの世界に早変わりし、待ってましたと子どももそこに帰っていった。

22:37 | 日々 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑ 

雑記

先日妻を見舞いに行ったときテレビを見ていなかった。そんなことは初めてだった。半身不随となり言葉もしゃべれず、物も食べれなくなって4年になろうとしてる。ひとつ前のアカウントでツイッターをしていたとき、夜中に病院に呼ばれ、妻の手術が失敗して呼び出しをうけたことを呟いてからもう4年になるのである。

妻にはもうテレビだけが娯楽だったが、どうも義母に急な支出があり金策のためにテレビカードが買えなくなったというのが真相らしい。テレビ代がどのくらいかかっているのか私は知らなかったが、そこは義母に任せて、医療費だけを支払ってきたわけだが、テレビ代も出して欲しいという電話があった。

ただの金の無心に過ぎない電話で、それだけならかんたんに承諾したのに、えんえんといかに苦労しているか、生活が困窮しているかという話をされ、暗い気持ちになり腹も立ってしまった。

かつてのツイッターをとじてあたらしいアカウントで再開して2年ほど経つが、当時の知り合いは何人もいまのフォロワーとして残ってくれている。身近な無理解からはなれて遠い理解にすがりたくなる夜がある。

00:33 | 日々 | comments (4) | trackbacks (0) | edit | page top↑ 

雨と風と日曜日

雨がやんでいる。一時的にはすべてが停止しているかにみえる夜に、置き去りにされた風だけが吹いている。

この週末は子どもが学校の行事で来れなかったため、静かな週末となった。置き去りにされた週末には雨が降るいがいになにが降ればいいのだ。母は私の子どもが来ると思っていてお菓子を買ってきていた。言ったじゃないか、と思ったが言ってないかもしれないと思い直した。そのお菓子をいくつか食べた。

風もおさまったころ、もうそこには何もない。虫が鳴いている。母との成立しない会話とか、妻との成立しない会話(これはただ声が出せないというものだが)とか、子どもとやがて疎遠になる時の成立しない会話とかがすでに沈黙の姿で夜気を満たしている。

それでも私はなにかを語りかけるだろうか。

01:18 | 日々 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑ 

引越し

母の具合が急変し、といってももともと余命7年と言われもう10年も生きているわけだが、それも一匹の犬が生きながらえているためだった。

一匹の犬がひとを生かす、そういう局面がある。その犬が癌だとわかり、急にほとんど立ち上がれなくなり、それに呼応して母の状態が悪くなった。犬が持ち直すと母の状態もよくなる、この原因結果は逆かもしれないがシンクロしていて、私も母に感謝する代わりに犬に感謝する、といった心理状態になってしまう。

15年以上生きてしまえば犬の死は癌であろうと老衰である。それは自然的表現だと思う。老衰が病であるという意味ではなく、病さえ生(老い)の表現にすぎないという意味でだ。犬が呼吸困難な夜を迎えると母は眠れなくなる。犬が歩けるようになると母も歩けるようになる。

そういうわけで母と犬と、あと若干の猫もいるのだが、そこに引越してきた。機械的な引越しのように思えてならない。心配とか愛さえ、実際の行動となってしまえば機能的行為にすぎないとこの年であらためて思い至っていたりする。

引越してきて二日目の夜、母は「子どもとまたいっしょに住めるなんて思ってもみなかった」そう言って涙を流した。

00:18 | 日々 | comments (1) | trackbacks (0) | edit | page top↑ 
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